自分のコトバをどんなふうに綴ればいいか分からなくなる

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この間、偶然手に取った幡野広志さんの「他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。」を読み始めている。幡野さんの本は他にも読んでいたものの、久しぶりに読んでみたら「こんなに辛かったっけ?」と思うぐらいの容赦のなさだった。どの相談もラジオなんかでよく耳にする内容だけど、幡野さんはそれに対して「それ、お子さんじゃなくてあなたが心配なだけなんでしょ?」とザックリ言ってくれる。だけど切り捨てるんじゃなく、「それ、やめたほうがいいよ」とか「応援しています」とか凡庸なひとなら少しでもまっとうになるアドバイスを、頑張っている人ならエールを送ってくれているのが気持ちいい。もっともこれは幡野さんも言っているように、きっと言いたいことを言っているだけなのだと思う。
それが「すごい」と思うとともに、少し「羨ましい」とも思ってしまう。言いたいことを言って、こんなふうに成果が出るなんて凄いしずるいじゃないか。私は最近、創作活動を始めたのだけど全然見てくれない。「創作なんてそういもの」だと分かっていたけども、あきらかに自分よりも拙い文章の人が持ち上げられていたり紹介されていたりするのを目にする度に妬んでしまう。他人にほめられたいなら、そういう作品にデザインすればいいだけの話だけど、どうやら私はありのままを、自分を褒めてもらいたいらしい。そんなの出来るかって話だ。でも自覚してしまうと、自分のコトバをどんなふうに綴ればいいか分からなくなってしまう。「どうせ誰も見ない」、そんな自暴自棄が捜索を投げやりにさせる。なまじ評価された作品があるから辛いところだ。
どうして皆、分かりやすくて「面白い」ものが好きなんだろうか?あの麻薬じみた面白さは私も好きだけれど、こうして提供する側になると受け取り側が憎らしくなってしまう。そんなに「面白い」ものが、感動ポルノが好きならお前が主役をやれよ。ただオナニーは人前でやるな、って。でも「創作なんてオナニー」という言葉があるように、私も人のことを言えないんだけど。